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大阪地方裁判所 昭和42年(わ)2930号 判決

主文

被告人東村忠男を禁錮二年に処する。

被告人早岡優行は無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人東村忠男は、丙種船長の海技免状を有し、日立造船株式会社桜島工場の新造ないし修繕船の曳船等として、就航していた同社所有の機船「芦屋丸」(総トン数149.52トン長さ二六四メートル、幅員7.4メートル)の船長として同船の操船等の業務に従事していたものであるが、

昭和四〇年八月一日午前一〇時四〇分頃右「芦屋丸」で前記桜島工場に帰航するため大阪港南海岸通船だまり波除堤内の大阪税関前桟橋を出発し、同一〇時四五分頃同「芦屋丸」の上部船橋において、自ら遠隔操縦装置(リモコン)を用いかつ操舵手山中直一に舵輪操作を行なわせながら同船を操船し、大阪市港区北海岸通一番地大阪港第二区安治川(川巾約四〇〇メートル)左岸沿いの水面において、同所を約八ノットの速力で上航中、自船の右舷約二〇メートル前方を約六ノットの速力で同一方向に先航中の大阪港内めぐりの観光遊覧船「やそしま」(総トン数22.2トン、長さ一五、二四メートル、幅員3.81メートル)を認め同船をその左舷側から追越そうとしたのであるが、同所は狭隘な水路であり、かつ、自船の主発電機の気中遮断器(サーキットブレーカー)が従前から時折はずれ、前日自船のポンプを使用して行なつた放水テスト中にもこれがはずれたことを認識しており、しかも右遮断器がはずれた場合には全く操船不能に陥るのであるから、かかる場合船長として船舶操縦の業務に従事するものは、自船の速力を減じて右遊覧船の追越を断念するか、あるいは敢えてこれを追越す場合には操舵手に対し的確な指示を与えつつ、右遊覧船の側方との間に十分な間隔を保つて追越進航し、追越中いやしくも自船船首を右先航の遊覧船「やそしま」の進路方向に向首することがないよう留意するとともに当時自己が操作していた遠隔操縦装置の無電圧警報機の乾電池は相当以前から取除かれていて右警報機が作動しない状況にあつたのであるから、遠隔操縦盤の表示灯の点滅に細心の注意を払い、もし表示灯の消灯によつて電源が遮断されたことが表示されたときには、直ちにこれを発見して時を移さず汽笛を吹鳴し、右先航遊覧船の注意を喚起してその速みやかな避譲を促し、もつて先行船舶との衝突事故を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、不注意にもこれを怠り、右「やそしま」が同安治川左岸岸壁に繋留していたデンマーク船ジェシイマルスク号(長さ約一〇九、五メートル、幅員約一五メートル)の左舷船尾左横付近に同船と平行する進路で差しかかつているのを、その左後方約二〇メートル、横間隔約一〇メートルの水域で同「やそしま」と平行して追尾中の自船上部船橋において前記速力のまま山中操舵手に左舵を命じて左へ約五度変針させて、右「やそしま」の左舷側から十分な間隔をとらずに追越をはかつたばかりか、その追越中約一二秒程度進航したとき、自ら前記遠隔操縦盤の右側推進路の翼角操縦レバーを手前に引いて同右側推進器の翼角角度を三に減じ自船船首を右方に変針させて、敢えて自船を右「やそしま」の針路に接近させようとしたところ、その直後偶々自船の主発電機の気中遮断器(サーキットブレーカー)がはずれ、自船の遠隔操縦装置、その他一切の操船装置への電源供給が遮断され全く操船不能に陥り、かつ自己の右方変針操作の結果自船が急右転を始めているのに、不注意にも右電源遮断を早期に発見せず、山中操舵手の「舵がきかん」と叫ぶのを聞いて漸く異常に驚いたものの、なおも電源遮断には気付かないまま、操船の自由を失つて自船が急右転を続けるのに狼狽し、前記の如くそのときまでに既に作動不能となつていた舵輪を左舵一杯にとるよう山中操舵手に命じたうえ、自らはこれも同じく作動不能となつた左右舷機操縦レバーを手前に引き全速後進の操作をしたが、いずれも作動しないため、それに益々狼狽するばかりで早期に汽笛を吹鳴した前記「やそしま」の注意を喚起し、その避譲を求めるなど臨機の措置を講じなかつた過失により、自船を右前方に暴進させてその船首部を「やそしま」の船尾から約二、五五メートル前方の左舷船尾部分に左後方から約四〇度の角度の方向で突込み同船と衝突し、よつて右遊覧船「やそしま」を覆没させるとともに、別表記載のとおり右「やそしま」の乗客山本八重ほか一九名を溺水の吸引により窒息死するに致らせ、同船の乗客北川洋ほか三四名および同船の乗組員藤村音次ほか一名に各傷害をそれぞれ負わせたものである。

(証拠の標目)〈略〉

(法令の適用)〈略〉

(被告人両名の弁護人の各主張に対する判断)

一、被告人東村忠男に対する公訴事実の要旨は、判示犯罪事実と略同旨であり、被告人早岡優行に対する公訴事実の要旨は、「被告人早岡は、乙種機関長の海技免状を有し、右「芦屋丸」の機関長として、相被告人東村忠男の命をうけ同船機関の運転およびそのその保守管理ならびに機関員の指揮監督等の業務に従事していたものであるが、昭和四〇年八月一日相被告人東村忠男の操船する前記「芦屋丸」に乗組むに際し、その前日たる七月三一日に右「芦屋丸」の雑用水ポンプを使用してホース・テストを実施したとき「芦屋丸」の主発電機の気中遮断器が数回にわたつてはずれ、しかもその原因が不明な状態にあつたのであるから、かかる場合機関長たる被告人早岡としては航海中の機関室内の当直員を定め、同当直員をして立直を行わせ、もし右気中遮断器がはずれた際は直ちにこれを原状に嵌入させるなどして操船に支障を与えることのないようにすべき業務上の注意義務があるにもかかわらず、不注意にもこれを怠り、当直員を指名するなど当直責任を明確にすることなく推移し、みずからは、機関室を離れて左舷甲板上で休憩していた過失および判示被告人東村の過失および最後に機関室に残留していた藪良一が機関員として機関室の保守管理義務を怠り、機関室右舷側入口から甲板に半身を乗り出して休憩していた過失の競合により、判示犯罪事実に記載のとおり昭和四〇年八月一日午前一〇時四五分頃大阪市港区北海岸通一番地安治川左岸沿い水面を上航中の自船を前記遊覧船「やそしま」に衝突させて、これを転覆させるとともに山本八重ほか一九名を死亡させ、更に北川洋ほか三六名に対し各傷害を与えたものである。」というにある。

二、被告人東村の弁護人および被告人早岡の弁護人はいずれも右公訴事実につき無罪を主張し、共通の争点として、被害遊覧船「やそしま」と加害船「芦屋丸」との見合関係、サーキットブレーカー(気中遮断器)のトリップした(はずれた)時期、芦屋丸の右回頭の原因につき後述のとおり異なつた主張をなし、検察官の主張と共に三者三様の対立を示しているので、順次これらの点につき検討していく。

(一)  両船の見合関係

本件の遊覧船「やそしま」と加害船「芦屋丸」の見合関係すなわち両船が衝突するにいたるまでの航行位置の変化状況について、検察官および各弁護人の主張は次のとおりかなり相違している。

(検察官・各弁護人の主張)

1「芦屋丸」が追越のため左舵をとつた際の両船の見合関係すなわち、この時点における「やそしま」と「芦屋丸」の位置関係に関する検察官、各弁護人の主張(別紙見合関係図(1)と(イ)の関係位置に対する主張)は次のとおりである。

(1)  検察官の主張「芦屋丸」はその右舷と「やそしま」左舷とが接触するようなコースを航行し同船とほぼ二〇メートルの距離に接近した地点であつて、横間隔は殆んどなかつた。

(2)  被告人東村の弁護人福島了の主張「芦屋丸」は「やそしま」の約二六、五メートル後方を追尾し、横の間隔は二〇メートルであつた。

(3)  被告人早岡の弁護人志賀親雄、佐藤恭也の主張「芦屋丸」は「やそしま」の約二〇メートル後方を追尾し、横の間隔は約一〇メートルであつた。

2 「芦屋丸」が前記のとおり左変針後、右回頭を開始した際の両船の横間隔

(1) 検察官の主張

約二五〜二六メートル。

(2) 被告人東村の弁護人の主張

約三〇メートル

(3) 被告人早岡の弁護人の主張 原針路からの変位量は左方へ約三、五ないし五メートルであつて、約一三、五ないし一五メートル(「芦屋丸」の船首と「やそしま」の左舷側との横間隔は約一八メートル)。

3 芦屋丸が右回頭を開始した地点から衝突地点までの距離

(1) 検察官の主張 約四五メートル。

(2) 被告人東村の弁護人の主張

約四五、一メートル。

(3) 被告人早岡の弁護人の主張

約四八メートル。

4 「やそしま」の衝突点までの全航行距離(別紙見合関係図(1)点から(3)点までの航行距離)

(1) 検察官の主張 九〇メートル

(2) 被告人東村の弁護人の主張

八〇メートル

(3) 被告人早岡の弁護人の主張

七八、七メートル

(当裁判所の認定)

加害船「芦屋丸」と被害遊覧船「やそしま」の見合関係を確定する作業は、サーキットブレーカーのトリップした時期「芦屋丸」右回頭の原因、被告人両名の過失と結果回避可能性の有無ひいてはその有罪無罪を判定する基礎をなすもので、これを解く極めて重要な鍵となるものであるから、慎重な認定が必要であるが、これをめぐる訴訟関係人の主張は前記のとおり三者三様に対立し、各供述証拠も区々に分かれている。それは、本件事故が、目標の少ない水域で、かつ移動する両船舶が惹起したものであること、その視認と記憶には事の性質上多かれ少なかれ誤差の生ずることが免れないことなどによるものと考えられる。そこで、当裁判所は本件各証拠上各供述証拠がほぼ一致し、かつ実況見分調書など明確な証拠に基づき、両船の位置、距離、衝突地点とその船位、両船の速度などの基礎船位、基礎数値をまず確定し、これをもとにして、区々に分かれている供述証拠の当否を数式を用いて算出される結論と対比しながら最も合理的なものを選択していくという方法を用いて、両船の見合関係の認定作業を進めていくこととする。

1  基礎船位、基礎数値の確定

〈証拠略〉を総合すると、次の各事実を認定することができる。

(1)  遊覧船「やそしま」は、当時安治川川口岸壁のほぼ中央部に右舷側を横付していたデンマーク船ジェシイーマルスク号(全長三五九フィート四インチ=約一〇九、五メートル、総屯数六〇七五トン)左舷側沖寄約二〇メートルを同船船尾方向から同船と平行に船首方向へ進航し、一番ハッチ(船倉)と二番(ハッチ(船倉)との中央あたりの一番マストのマスト台後端附近と平行の船位にある地点で加害船「芦屋丸」と衝突していること、そして、右マルスク号船尾から右衝突地点までの距離は次のようにして算出できる、すなわち、前記実況見分調書添付写真1の同船の全長を検すると約一〇、六センチメートルで丁度実測全長の約1/1,000の縮尺写真にあたることが判明し、同写真により同船の船尾から前記マスト台後端までの距離を検尺すると、約七、九センチメートルであるから衝突地点はマルスク号船尾から数えて約八二メートル前方の地点であり、動突時の船位は「芦屋丸」の船首が「やそしま」の船尾から約二、五五メートル前方の左舷船尾部分に左後方から約四〇度の角度で衝突したものであるから、結局「やそしま」のマルスク号船尾から衝突地点までの航行距離は約七九、四五メートルである。

(2)  「芦屋丸」は、当時、速力は時速八ノット(秒速四、一一五メートル、8.0(ノット)×1852(メートル)3.600(秒)=4.115メートル)で航行していたもので、船種機船、船籍港大阪市、船舶所有者日立造船株式会社、総トン数一四九トン、長さ二六、四メートル、幅員七、四メートル、深さ三、五メートル機関の種類出力等可変ピッチプロペラ装置を有する二サイクル単動五気筒ディーゼル機関二個出力各機とも六〇〇馬力であつた。

(3)  「やそしま」当時の速力は時速六ノット(秒速三、〇八七メートル、6.0(ノット)×1852(メートル)÷3.600(秒)=3.087メートル)で航行していたもので、船種機船、船籍港大阪市、船舶所有者特定船舶整備公団、大阪通船運輸株式会社、総トン数二二トン、長さ一五、二四メートル、幅員三、八一メートル、深さ一、三五メートル、機関の種類出力等四サイクル単動五気筒ディーゼル機関一個、七五馬力であつた。

2  「芦屋丸」が追越のため左舵をとつた際の両船の見合関係、前掲各証拠によると、この際「やそしま」がマルスク号船尾付近にあり、「やそしま」の船尾とマルスク号の船尾が真横に並ぶような状態にあつたことが認められる。問題はこの際の「芦屋丸」の船位であつて、これにつき、〈証拠略〉山中供述、山中証言では、「芦屋丸」は、「やそしま」の左後方で直線距離にして約四〇〜五〇メートルで横間隔は「芦屋丸」が真直ぐ進めば遊覧船の左舷側すれすれのところであるといつたり、横巾は約一〇メートル位あつたとも述べその旨の作図をしているが、東村自供では、左後方約二〇メートル近くに接近していたとするが、東村供述においては、左後方七〇ないし一〇〇メートルと供述し、同被告人の作図によると横間隔はほとんどなくそのまま進めば「芦屋丸」の右舷側が「やそしま」の左舷とが接触するくらい接近した位置にあつたことを図示している。そこで、このうちいずれが合理的かをまず判定する必要に迫られるが、直線距離が「やそしま」後方四〇〜五〇メートルであつたとする山中供述、山中証言は、両船の速度差が一秒〇二八メートル(4.115−3.087=1.028メートル)であるから、この割合で「芦屋丸」が「やそしま」を追かけ追付かねば衝突は起らないのであるが、四〇メートルないし五〇メートルの間隔を詰めるには約三八、九秒ないし、約四八、六秒を必要とするから(40÷1.028=38.9秒、50÷1.028=48.6秒)この間「やそしま」は約一二〇メートルないし約一五〇メートル進航するのであつて(38.9×3.087=120.0843、48.6×3.087=150.0282)、前認定の本件衝突地点であるマルスク号船尾から数えて八二メートルのところをはるかに越え、マルスク号(全長一〇九、五メートル)を通過しそのかなり前方でのみ追いつき得るに過ぎないから、極めて不合理で到底採用できないものである。まして、これよりも遠距離である七〇〜一〇〇メートルの間隔があつたとする東村供述は一層不合理であつて採用できないことはいうまでもない。そうすると残された東村自供による約二〇メートル離れていたとの事実を認定するほかないのである。なお被告人東村の弁護人が主張する二六、五メートルの間隔は本件全証拠によるもこれを示す証拠はない。ところで、前記の如く東村自供を採用するにつき、その合理性を検討し、併せて横間隔の有無をも吟味する必要がある。それには、最初に「芦屋丸」の追越のため左針した地点から衝突地点までの全航行距離とその所要時分を算出し、「やそしま」の所要時分との合致を確認せねばならない。ところで「芦屋丸」は後記認定のとおり五度左針しその後再び右転して衝突個所では前認定のとおり四〇度の角度で衝突しているので、その航行距離は、八二メートルに二〇メートルを加えた一〇二メートルを底辺とし、その左角が五度で、右角が四〇度の三角形の両斜辺の長さの合計をもつて示すことができ、この数値にほぼ等しいか、または実際、「芦屋丸」は両斜辺内を小回りしていると認められるので右数値より小さくなければならない。そして、右両斜辺の合計は別紙計算書(一)の数式により算出でき、「芦屋丸」の航行距離は一〇五、一六メートルで、その所要時分は二五、五六秒となる。一方「やそしま」の航行距離は七九、四五メートルであり(82−2.55メートル=79.45メートル)、その所要時分は二五、七四秒(79.45÷3.087=25.736秒)であつて、ほぼ両船の所要時分は一致する。もつとも、「芦屋丸」の航行距離の実数は前叙のとおり右計算上の数値より小さいものといわねばならないから、右計算上の所要時分の差が広がることが考えられ、この点を考慮すると計算上の数値としては、「芦屋丸」の所要時分が「やそしま」のそれよりも大きくなければならない筈であるが、右の数値はこの要請に合致しない。そこで、「芦屋丸」と「やそしま」の横間隔が一〇メートルの距離が存する場合の「芦屋丸」の航行距離所要時分を算出する必要がある。これは別紙計算書(二)の数式により求めることができる。

これによると芦屋丸の航行距離は一〇八、五八メートル、所要時分は二六、三九秒であつて、前記「やそしま」の所要時分二五、七四秒よりも多く、かつその誤差も〇、六五秒と僅小であり、ほぼ正確な数値が得られる。したがつて、当裁判所は、「芦屋丸」が左舵を開始した時点においては、「やそしま」はその船尾が「マルスク」号船尾と真横の直線上に並んでおり、「芦屋丸」はその後方二〇メートルで、横間隔一〇メートルをおいた左側にあつたものと認定する。

3  「芦屋丸」左変針の角度

この角度につき山中証言、山中供述では、一〇度ないし一五度とし、その説明として、当初安治川変電所赤白煙突二本のうち左側の煙突を目標にしていたのを左舵をとり、日立八〇トングレーンに向首したが、すぐ舵を右に回し、ついで中央にもどし日立移動三号グレーンに目標をおいて進航したと供述しており、東村自供、東村供述では左舵一〇度か一五度くらいである旨述べている。そして、司法警察員作成の実況見分調書によると事故同様の航行を再現し、当初安治川上流関西電力春日発電所の赤白煙突左側に向首した時の羅針方位は六三度であり、次に日立造船桜島工場の移動三号グレーンへ向首した際の羅針方位は五八度であつたことが明らかであるから、結局その差五度の角度で左針したものと認められるのであつて、一〇度ないし一五度の左変針は、当初の変針であつて、すぐ左五度の角度の変針にもどつたものといわねばならない。

4  「芦屋丸」が左変針後、右回頭開始時の両船の船位

「芦屋丸」の右転開始の時点につき、山中証言では、左変針後一〇秒ないし一五秒ぐらい航走してから船首が右転し始めたとし、東村自供では、進路を左にかえてから、五〇メートル位いつて遊覧船が外国船のブリッジの真横あたりを通過しているころ右翼角操縦レバーを引きその後右転をはじめたとしている。そして、「芦屋丸」が五〇メートル進航するには約一二秒を要するが(50÷4.115=12.15秒)、この間にやそしまは37.04メトル進み(3.087×12=37.044メートル)、その船首はマルスク号船尾から数え52.28メートルの位置にあり(37.04+15.24=52.28メートル)、丁度マルスク号の中央ブリッジ付近を進航しているわけであつて、右山中証言、東村自供は略一致し信用できる。そして、「芦屋丸」右回頭の時期は、被告人東村が翼角操縦レバーを右のように操作してから右転開始時までに約二秒を要することが東村自供により明らかであるから、これを加算し、「芦屋丸」が左舵をとつてから約一四秒経過した後で、その間約五七、六一メートル進んでいて(4.115×14=57.61)、別紙見合関係図(ロ)点にあり、この際の「やそしま」の位置は同図(2)点にあつて、その横間隔は別紙計算書(三)の数式により算出し得る。

これによると、両船の船巾の二分の一づつを加えた横間隔は二〇、六三メートルとなるので、この二〇、六三メートルの横間隔があつたものと認定できる。

5  芦屋丸の右回頭開始点から衝突点までの距離

この距離は別紙計算書(四)の数式により算出することができる。これによると「芦屋丸」の右転開始点から衝突点までの航行距離は約四八、四五メートルであることが判明する。

6  両船の航行距離

「やそしま」の全航行距離は前認定のとおり七九、四五メートルであり、「芦屋丸」のそれは、一〇六、〇六メートル(57.61+48.45=106.06メートル)である。そして、この所要時分を対比すると、「やそしま」の所要時分は二五、七四秒であり、「芦屋丸」のそれは二五、七七秒(106.06÷4.115=25.773秒)で極微の差(〇、〇三秒)が生ずるのみでほとんど一致し、衝突個所における衝突を証明することができ、以上の認定の合理性を確認できるのである。

7  見合関係図の作成

以上に認定した数値をもとにして当裁判所は別紙見合関係図を作成し本判決末尾に添付した。

(二) 「芦屋丸」の右回頭の原因

本件加害船「芦屋丸」が別紙見合関係図(ロ)点で右回頭を開始した原因につき、検察官は被告人東村が遊覧船「やそしま」の船客を喜ばせてやろうと思い、同船に接近しようとしてリモコン装置の右側操縦レバーだけを手前に引いて翼角を三ないし四とし、左側はそれまでどおり六ないし七にしておいた被告人東村のリモコン操作によるものと主張し、被告人東村の自供を挙げ、被告人早岡の弁護人も同旨の主張をしている。これに対し、被告人東村の弁護人は、右東村自供は信憑性がないとし、「芦屋丸」右回頭の原因は、山中直一操舵手が、別紙見合関係図(イ)点で日立八〇トングレーンに向けて左舵をとり次いでこの左への切り過ぎを少し是正するため右舵をとり日立移動三号グレーンに向首したこと、およびその直後頃ブレーカーがトリップしたため、右舵をとつた際の舵角が固定したことによる旨主張している。

よつて、判断するに、本件「芦屋丸」は前認定のとおり別紙見合関係図(ロ)点から急右転を開始し、本件衝突事故を惹起していることが明らかで、この急右転の原因として考えられるのは、①被告人東村の弁護人主張のような同見合図(イ)点直後の山中操舵手による右へ針度をもどすための舵輪操作、②「芦屋丸」の機能の欠陥、故障、③検察官および被告人早岡の弁護人主張の如き被告人東村の翼角操縦レバーの操作によることであつて、これ以外に急右転の原因は考えられないところである。したがつて、順次、右各要因の当否を吟味していく。まず、山中操舵手の見合関係図(イ)点直後の舵輪操作によるか否かについて検討するに、前記山中証言、山中供述、東村供述、東村自供によると、船長被告人東村の指示により山中操舵手は別紙見合関係図(イ)点で舵輪を操作して、舵角指示針で左舵一〇度くらいをとり左へ変針し日立八〇トングレーンを目標にしたが直ぐ左への切り過ぎを是正すべく、右へ五度程度もどした後、舵を中央にして日立移動三号グレーンを目標に四、五秒以上舵角を左五度に固定し直進していることが認められるのであつて、他にこの認定を動かすに足る証拠はない。そうすると、山中操舵手の過度の変針を是正するための右変針を目的とした舵輪操作によつて、その効果が現われもともと日立八〇トングレーンに向首していたものが、日立移動三号グレーンに向首し直進していたことが明らかであつて、被告人東村の弁護人主張のように山中操舵手の右変針の舵輪操作の効果が別紙見合関係図(ロ)点まで全然現われず、同(ロ)点に「芦屋丸」が到達した際始めてその効果が発現し、右転を開始したとの主張は到底採用することができない。次に、「芦屋丸」の操舵装置、遠隔操縦措置等に機能の欠陥、故障があつたか否かにつき考察するに、司法警察員作成の検証調書によると、「芦屋丸」に備えられていた電動油圧式舵取装置は船橋操舵輪ベベルギヤーによるロッド伝導式のもので、浦賀船渠株式会社製ヘルショー油圧ポンプ、大洋電機株式会社製の電動機及び東京機械株式会社製の附属機器から構成されているが、上部船橋に設けられている操舵輪、主操縦盤(リモートコントロール)、エンジンテレグラフ(ベル)はもとよりのこと、中甲板露出部のロッド式伝達装置、機関室内のロッド式伝達装置、航海科倉庫内のロッド式伝達装置、操舵機室内の操舵機一式、ベベルギヤー等、電動油圧式舵取装置などの各系統、遠隔操縦装置に連結する可変ピッチプロペラ変節装置、クラッチ装置、主機関燃料弁バガナー調整装置、可変ピッチプロペラ変節手動装置などには何ら故障欠陥がなかつたことが認められる。もつとも、山中証言によると、「芦屋丸」は右回頭の癖がある旨供述しているが、同供述自体もその程度は僅かなものであるとしているうえ、前記検証調書によると、上部船橋にて右(面舵)二〇度を取つた場合舵機室は右一九、五度を指示し、面舵一杯三五度を取つた時は舵機室指示三四度、船橋取舵一杯三五度を取つた時は舵機室指示取舵三三度を示し、船橋指示と舵機室の間に一度ないし〇、五度の誤差があり、「芦屋丸」の舵板は一度ないし〇、五度右にとられていることが認められ右回頭の程度はこの〇、五ないし一度であるといわねばならないから、本件見合関係図(ロ)点から衝突点に至る如き舵角四五度(衝突角度四〇度+航行角度左五度=四五度)にものぼる急角度で右転するものとは認められないのであつて、サーキッドブレーカーのトリップによる右回頭癖の発生をもつて本件「芦屋丸」の急右転の原因とするができないことは明らかである。

そこで、右回頭の原因として残されるのは、被告人東村の翼角操縦レバーの操作である。これにつき前記東村自供によると、別紙見合関係図(ロ)点附近で、「船の船首は桜島入堀の方に向いそのまま安治川を横切るように感じました。私としてはもつと川上にのぼつて安治川を横切るつもりでしたし、また遊覧船に近かよつて遊覧船にのつている子供を喜ばしてやりたいという気持から針路を少し右にかえようと思いました。」「私は山中君には何もいわずに右の操縦レバーだけを手前に引いて針路を右にかえようとしたのです。」「左舵のレバーを前進七位においたまま右舵のレバーを前進の三か四にしておいたのです。」との供述があり、これは司法警察員作成の実況見分調書実施項目8で舵中央のまま、遠隔操縦盤左側推進器の翼角を六とし、右側推進器の翼角操縦レバーを三にした場合の「芦屋丸」の右変針角度とほぼ合致し、また、当裁判所の検証調書によると舵角左一〇度リモコンレバー左右6で航行中右レバーをマイナス3にすると船は右に回頭し、この時気中遮断器を外すと右に回頭をつづけることが認められるのであつて、これらの事実に照らすと、前記東村自供は信用し得るから当裁判所は、これら東村自供、実況分調書、検証調書に基づき芦屋丸が別紙見合関係図(ロ)点で右転した原因は被告人東村の翼角操縦レバーのうち左側は七ないし六のままにしておき、右側のみを手前に引いて翼角角度を三に減じた操作に基くものと認定する。もつとも、前記実況見分調書実施項目8の所要時分は別紙見合関係図(ロ)点の急右転の所要時分に比較して長がすぎるけれども、前記東村自供によれば本件の右転の場合通例の右転のしかたと異なり急角度に短時分で急右転したことが認められるのであつて、これは後記認定のとおり被告人東村の右転操作直後サーキットブレーカーがトリップしたことによるもので前記所要時分の相違の一事をもつて「芦屋丸」右転の原因に関する前認定を覆すことはできないし、また、被告人東村は当公判廷において前記自供を翻し、この自供は会社の名誉を慮つてリモコン故障を秘匿するために虚偽の供述をしたものである旨弁解しているが、右の如き自供をもつて、リモコン故障秘匿の目的を達し得ないことは明白であつて、右弁解の合理性は極めて疑わしく遽かに措信できないところである。

(三) サーキットブレーカーのトリップ(はずれた)時期

サーキットブレーカーのトリップした時期につき、検察官は衝突時より一三ないし一四秒前であるとし、被告人東村の弁護人は山中操舵手が左舵をとり、その直後右舵をとつた別表見合関係図(イ)点直後の時点であるとし、被告人早岡の弁護人は、「芦屋丸」右転開始後一、二秒後である旨主張している。

よつて、この点につき判断するに、前記山中証言、山中供述によると、「芦屋丸」が別紙見合関係図(イ)点から(ロ)点に至り「芦屋丸」の船首が右回頭を始めるまでは、舵輪も軽くその操作に全く異状を感じなかつたこと、その後「芦屋丸」が右転を三、四秒続けたので、左に約五度あて舵を取つたところ、「がつ」と手ごたえがあつただけでなんら効果がなく依然右転をつづけたので、船長である被告人東村に対して「船長舵がきかん」と叫んでいることが認められ、一方、前記東村自供によると、「芦屋丸」が別紙見合関係図(ロ)点の二秒前に達したとき、前記のとおり、山中操舵手には何も告げずに、それまで前進七の位置にあつた左右の翼角操縦レバーのうち右側のレバーのみを手前に引いて前進三の位置へ移動させたところ、通常はレバーを引いてから二秒位して船首が徐々に右に回りはじめるのに、この時には船首が急角度に右に曲つたので意外に感じたこと、山中操舵手が右舵を取つたのではないかと考え、舵角指示器を窺いたところ舵角の指針は中央を示していたので、この時舵がおかしいのではないかとの印象を持つたが、その直後山中操舵手から「船長舵がおかしい」といわれ、同人に左舵一杯を命じたことが認められ、また、〈証拠略〉によると、サーキットブレーカーがトリップ(剥脱)すると一斉に電気が消え、遠隔操縦装置(リモコン)はもとよりのこと手動の舵輪もその油圧装置に対する電源が切れるので、芦屋丸の一切の操舵装置への電気供給が遮断されて操舵不能に陥入ることが認められる。そして、これらの各事実を併せ考えると、前認定のとおり被告人東村が翼角操縦レバーを引いたことによりそれが作動し、ともあれ「芦屋丸」は右転をはじめているので、右レバー操作時においてはリモコン装置に通電されていたことが明らかであり、その二秒足らず後に「芦屋丸」が右回頭を開始した時点では右転が急角度で異常が現われているといわねばならないから、この間にサーキットブレーカーがトリップしたこと、少くとも右回頭開始直後の時点においてブレーカーが剥脱したものと認定できる。このトリップの時点につき、「芦屋丸」右転後三、四秒とか、一、二秒であるとする検察官、被告人早岡の弁護人の主張は、単にブレーカーのトリップを「芦屋丸」船橋操縦室で被告人東村、山中操舵手が確認した時点を指し、ブレーカーのはずれた時点を示す数値としては不正確であるし、被告人東村の弁護人の主張するトリップの時期は山中操舵手が日立移動三号グレーンに向首した直後の時点右転開始の一〇秒前であるというのであるが、これは前認定のとおり舵輪の状態、同三号グレーンへの抗首操作とそれによる効果が生じ、その後は舵中央に戻し、舵角が五度に固定し「芦屋丸」は直進していたことなどに照らし、到底採用できないものである。

三被告人東村の弁護人の主張に対する判断

被告人東村の弁護人は、前記のとおり両船の見合関係、サーキットブレーカーのトリップ時期を主張し、被告人東村が「やそしま」の船客を喜ばすため右翼角操縦レバーを引いたとする自供は、同被告人の自供が転々としていることからも信用できないし、仮りに右レバーを引いたとしても、サーキットブレーカーがトリップしたのはこの翼角レバー操作の一〇秒以前であるから、右翼角操縦レバーは作動せず、本件衝突事故の結果と無関係である旨述べているが、前認定のとおり両船の見合関係は別紙見合関係図のとおりであつて、サーキットブレーカーのトリップ時期も同見合関係図(ロ)点に「芦屋丸」が進航した時点であるし、被告人東村の右側の翼角操縦レバーを引いたとの自供が措信し得るものであるから、同弁護人の主張はいずれも採用できない。

次に、同弁護人は衝突回避措置につき、被告人東村が操船の自由を失つたと確認し得た時点は山中操舵手が「舵がきかん舵がきかん」と叫んだとき、すなわち、衝突地点の手前二〇、五メートルの所であり、検察官主張の如く直ちに汽笛を吹鳴するとしても、この警告信号は単音五回以上と定められているから、この所要時分は六〜七秒を要するのであつて、「芦屋丸」はこの間に二四〜五メートル進航し、吹鳴操作の終了しないうちに衝突地点に到達し、その回避は不能であり、被告人東村が異常に気づくと同時に山中操舵手に対し左舵一杯を命じ自ら左右ピッチレバーを後進一杯にした措置は何ら誤りではなくこの点に過失はないとし、次いで、リモコン装置の表示灯は被告人東村の位置からは死角に入り、その照明度は淡くしかも日中夏の太陽に照らされていたから、点滅の確認は殆んど不可能であつて、被告人東村に操船上の過失は認められず、無罪である旨主張する。

しかしながら、〈証拠略〉によると汽笛は「芦屋丸」のマスト中央部に設置されており、吹鳴装置は操縦室中央部舵輪の真上に張られたワイヤーを下に引くと汽笛が吹鳴する仕掛になつており、このワイヤーは本件事故当時被告人東村が立つていたリモコン装置前の極く近接したところにあり、しかも前認定のとおり被告人東村が「芦屋丸」の異常な右転に気づいたのは、その右転開始時である別紙見合関係図(ロ)点で衝突地点の約四八、四五メートル手前であつて、衝突地点までの所要時分は約一一、七七秒の余裕があつたことが明らかであり(48.45÷4.115=11.77)、この際被告人東村が、時を移さず、リモコン表示灯の消灯を確認し即座に汽笛を吹鳴すれば、それは海上衝突予防法上汽笛を急速に短音を五回以上鳴らすことができる旨規定されているけれども(同法二八条二項)、それに要する時分はせいぜい五秒程度であるといわねばならないから、衝突時点までなお六、七七秒の余裕があり、最高速度が約八ノットである(第一三回公判調書中証人日坂善次郎の供述記載部分)「やそしま」がこれに気付き一ノット加速すれば、この間に三、四五メートル分衝突時点の位置よりも前進していることになり(1.852÷360秒=0.514メートル、0.51×6.77=3.45メートル)、二ノット加速するとその倍の約六、九メートル分だけ前進していることとなるから、本件衝突は起り得ないのであつて、衝突回避が可能であつたといわねばならないし、また汽笛が五回吹鳴し終るまでに「やそしま」が危険を察知して早期に全速前進の回避措置を採ることも十分期待できるのであるから、衝突回避の可能性はさらに強いものであつたと認められる。

次に、リモコンの電源表示灯(パイロットランプ)が、日光に照らされて多少とも見難くかつたことは、〈証拠略〉によつて認られないではないが、その消灯の発見は不可能でないことも明らかであり、とくに前認定のとおり、自船の操縦装置の無電圧警報機用の乾電池が相当以前から取除かれており、船長である被告人東村はこのことを十分確知していたのであるから、船舶操縦の業務に縦事する船長として、被告人東村は、一層厳重に前記表示灯(パイロットランプ)の点滅を注視しその消灯を早期に発見すべき義務があるのであつて、それが見難い状況にあつたからといつて、表示灯の消灯を発見する必要がないとか、表示灯注視の義務がないといえないことはいうまでもないから、被告人東村の弁護人の主張は到底採用することができない。

そして被告人東村には、右の汽笛不吹鳴、およびリモコン表示灯不注視という過失のほかにも、これと一連の行為と評価し得る判示犯罪事実に記載の如き船舶の輻輳する巾員の狭隘な水路において十分な間隔をとらずに遊覧船「やそしま」を追越した過失および、同「やそしま」に近接しているところで同船航路に接近しようとして敢えて右側翼角操縦レバーを引き「芦屋丸」を右回頭させた過失があることは否めないところであつて、いずれにせよ被告人東村は過失責任を免れることはできないのである。

四被告人早岡の無罪理由

被告人早岡の弁護人は、同被告人に対する前記公訴事実につき、「芦屋丸」の通常の航海中ブレーカーがトリップした事例はなく、従つてまた本件当日ブレーカーがトリップすることは全く被告人早岡にとつて予想しえないし、過去において屡々トリップしたことのある主発電機を本件事故当日使用し、当直員を指定しなかつたことに被告人早岡の過失がある旨の検察官の主張は正当でないとし、かりに何らかの過失があるとしても、当時籔機関員その他の当直員が機関室内の当直個所で立直していて、ブレーカーのトリップに気付き直ちにブレーカー嵌入の措置を採つたとしても、これにより翼角が追従するのは、衝突後四、五秒になり、本件事故は不可避であつた旨主張している。

〈証拠略〉被告人早岡優行は、乙種機関長の海技免状を有し、昭和三四年一二月一八日頃から「芦屋丸」の機関長として被告人東村の命を受け、同船の機関の運転およびその保守管理並びに機関員の指揮監督に従事していたものであるが、昭和四〇年八月一日午前一〇時四〇分頃前記「芦屋丸」に乗組むに際し、その前日たる七月三一日に「芦屋丸」の雑用水ポンプを使用して他船の水漏れを点検するためのホーステスト(放水テスト)を実施した際サーキットブレーカーが数回に亘つてトリップし、しかもその原因が過電流またはその他によるものかが必ずしも明確でなかつたのであるから、かかる場合船舶の保守管理ならびに機関員の監督にあたる機関長たるものは、航海中の機関室内の当直員を定め、同当直員に厳に立直を行わせ、万一ブレーカがトリップしたときには、直ちにこれを原状に嵌入させる等の措置をとらせ、もつて操船に支障のないように配慮すべき業務上の注意義務があるにもかかわらず、不注意にもこれを怠り、前日のブレーカーのトリップは籔良一機関員のホーステスト時の電源切替操作のミスによるものと軽信し、当直員を明確に指名し、厳重な立直を命ずることなく放任し、みずからは機関室を離れて左舷甲板上で休憩していた過失があることが認められる。

したがつて、これに反し被告人早岡に何らの過失がないとする同被告人の弁護人の前記主張部分は採用できないところである。

しかしながら、当裁判所は以下の理由により被告人早岡が右注意義務を完全に果たして当直員を指名し、厳重に立直を命じていたとしても、本件衝突事故の結果は避けられず、したがつて結果回避可能性がないから、被告人早岡の前記過失と本件衝突事故との間には因果関係を欠き、被告人にその罪責を問うことができないのである。

すなわち、前認定のとおりサーキットブレーカーがトリップした時点は別紙見合関係図(ロ)点に「芦屋丸」が進航したときであつて、この地点から衝突点まで約四八、四五メートルであり、「芦屋丸」が衝突地点に至るまでの所要時分は、一一、七七秒であるから衝突回避が可能というためには、この間に当直員がサーキットブレーカーのトリップに気づいてこれを嵌入し、かつ被告人東村の操作する翼角操縦レバーなどにより翼角が追従し、その効果が表われねばならないことは明らかである。そこで、この点につき検討するに、〈証拠略〉によると、機関部員が当直する所定の場所は階段下で机・椅子のあるいわゆる日誌台のところであり、ここから主発電機のサーキットブレーカーのある配電盤の場所までは、約五メートルあつて、椅子から立上りこれに駈け寄るのに二、三秒を要し、さらにブレーカー嵌入操作は通常一回入れれば嵌入できていたが、本件事故時は中岳勇がトリップ直後に駈け寄り一回入れたがすぐまたはずれ、再度嵌入して一、二秒押えておらねばならない状態であつたから、この嵌入操作には少くとも二、三秒を必要とすることが認められ、次に、このようにブレーカーが嵌入されたとしても、なお衝突回避のため急停止用の全速後進が効果を表わすには、既に船橋操舵室において翼角を前進六から全速後進に切替えられ、後進レバーを後進六としてあつた場合にも、この操作により実際に翼角が追従し効果が現われるに計八秒を要し、またこの全速後進操作の他に舵輪を用いて左回頭による回避措置をとつたとしてもこれと同程度以上の時分が必要であつて、このことは〈証拠略〉により明らかであるから、籔良一その他の機関員が所定の当直場所に立直していてブレーカーのトリップに気づき直ちにブレーカーの嵌入操作をとつても、衝突回避操作がその効果の一端を現わすまでに計一二秒ないし一四秒を要し、この時分は「芦屋丸」が右回頭を開始しサーキットブレーカーがトリップした別紙見合関係図(ロ)点から衝突地点までの所要時分一一、七七秒よりも多く必要としているので衝突と同時またはその約二秒後に漸く衝突回避操作の効果が生じ始めるに過ぎず、本件衝突事故を回避することは不可能であつたといわざるを得ないのである。

もつとも、この点につき検察官は「サーキットブレーカーがトリップした直後に、ブレーカーを嵌入すればただちに操船の自由は回復し、本件事故は回避できたことはいうまでもない」と主張し、〈証拠略〉によれば、従前からブレーカーがとんだことは何度かあつたが、同証人が嵌入するとカチッと入りすぐ直つた旨の供述記載があり、〈証拠略〉によると、被告人東村は、数か月に一回程度トリップしたことがあるが、すぐ直り操船の自由を回復した旨供述しているが、ここにいう「すぐ」なおつたというのは極めて抽象的で不正確な表現であつて、これがどの程度の時分を意味するかは明らかにし得ないし、また操船の自由を回復したとの供述も本件のように他船と異常接近し衝突のおそれある見合関係にある場合の操船を指しているものとは認められず、他船との衝突の危険のない通常の航行中の操船を述べているものというほかないのであつて、このような供述をもつて回避可能性を肯認することはできないし、本件全証拠によるも他にこれを首肯するに足る証拠はない。

なお、被告人早岡において、部下機関員をしてサーキットブレーカーのある配電盤前で立直させるべき注意義務があるかどうかについては、検察官においても、そこまでの注意義務は要求していないと思われるが、念のため検討を加える。

〈証拠略〉によると、本件当時芦屋丸の機関員として乗船していたのは中岳勇、大西正己および藪良一の三名で、そのうち、中岳勇が左舷機関係、大西正己が右舷機関係を担当し、藪良一は発電機の起動および停止、圧縮空気の空気槽への補給、配電盤の操作等を担当していたこと、機関室での当直場所は機関室階段下の机や椅子のあるところ(日誌台)であることが認められるところ、藪良一の担当職務は、右のように配電盤関係だけでなく、その他にも航行中重要な職務を担当していたのであるから、被告人早岡において、いつサーキットブレーカーがとぶかも知れないことまでをも予測して、部下機関員特に藪良一に命じて配電盤前で立直させるまでの注意義務を要求するのは、いささか酷に過ぎるものと認める。その他被告人早岡に他の過失を認めるに足る証拠はない。

以下のとおりであるから、被告人早岡には前認定のとおり、「芦屋丸」の機関長として、前日にブレーカーが数回トリップしているのに機関部員に機関室内の当直員を明確に定め厳格な立直をさせなかつた点に咎められるべき注意義務違反が認められるけれども、衝突結果の回避可能性を認めることができないから、右注意義務違反と本件衝突事故の結果との間に因果関係を欠き、結局被告人早岡に対する本件業務上過失艦船覆没、業務上過失致死傷の公訴事実は証明がないことに帰するので、刑事訴訟法三三六条に従い無罪の言渡をすることとする。

よつて主文のとおり判決する。

(荒石利雄 逢坂芳雄 吉川義春)

別表 〈略〉

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